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2013年1月21日月曜日

『砂の女』:安部公房

東大医学部卒の作家と言えば、恐らく森鴎外か安部公房がすぐに思い浮かぶのではないか。もともと理系の人物でありながら、しかも医学部卒という普通にやっていれば食いっぱぐれることのないであろう肩書きを得ていながら、なお芸術の道に進んだというのは、もう単純にそれが好きだったから、ということだろうと思う。しかも森鴎外は軍医になって医学の道を進む傍らで文学をやっていたが、安部公房の場合は完全に医学の道を捨てきって芸術の道を選んでいるから、凡人にはちょっと想像のできない程の奇抜さである。なおここで森鴎外の場合は文学、安部公房の場合は芸術という言葉を使っているのは、安部公房が文学作家に止まらない活動を展開しているからである。

安部公房と言えば、最近初期の未発表原稿が発見、発表され、話題になった。新潮に掲載されていたもので、私も早速買って読んだのだが、この頃から既に安部公房節とでもいえるような文体は出来上がっていたようだ。幾分哲学的、詩的要素が強く、一般向けではないものの、内面の思索を延々と呟き続けるようなスタイルはこの頃から既に片鱗を見せていたと言って良いだろう。リルケやハイデガーに心酔していたと言うから、その影響下にありながら安部公房独自のスタイルを模索していた時期だったのかも知れない。

『砂の女』は安部公房の出世作であり、恐らく安部公房の作品の中でも群を抜いて有名な作品だろう。『壁』で芥川賞を受賞し、華々しいデビューを飾った安部公房が文壇での地位を決定的なものにしたのがこの作品だ。読売文学賞、フランスで最優秀外国文学賞を受賞しているということである。尤もこの小説は文学賞などおおよそ詰まらないものに思えてくるくらい衝撃的な作品である。

まず、『砂の女』は安部公房の作品の中では比較的ウェルメイドな作品である。起承転結がきちんとあって、ストーリーとしても綺麗にまとまっている。前述の初期の作品に始まり、『壁』もかなりシュルレアリスム的な意匠に満ちていた。また後の作品になると『他人の顔』『密会』『箱男』など、既存の概念から考えるとむちゃくちゃな構成の作品が目白押しである。もう普通の作品では満足しきれない!と言わんばかりに、絶えず実験的な試みを繰り返している。多分、この人は何事も普通では満足しきれない質で、常に新しい事に挑戦したいという意欲が旺盛な人なのだと思う。医学の道をすっぱり切り捨てられたのも恐らくそういう性格からきた選択なのだろう。医者として決められたレールを進む事が詰まらない事のように思えたのかも知れない。話がそれたが、そんな安部公房の中で、本作はかなり「おとなしい」部類に入る。

だがそれでも、初めてこれを読んだ時にはその型破りな表現力に驚いたものである。というより、私が初めて読んだ安部公房の作品がこの『砂の女』だったから、安部公房の文体に全く免疫がなかったということもあろうが、とにかく才気走り過ぎていて落ち着きがなく、しかしそれでいて一々表現が適確なのである。新鮮で、面白くて、読み始めるととまらなくなった。

具体的に言えば、第一に、理系らしく理屈が緻密であり、科学的な根拠には妥協を許さないところである。これはもうはっきりいって馬鹿馬鹿しいくらいに入念である。話の内容からして、本作はどう見ても私小説ではなくフィクションであるが、科学的根拠に余念がないため、妙にリアリティーがある。第二に比喩が適確なのである。一文一文にその巧みな比喩がちりばめられていて、逆に紋切り型の表現が殆ど見当たらない。ドナルド・キーンの解説にもあったように、特に直喩が巧みなのだ。例を示そうかとも思ったが、どれを例示したら良いのか分からないくらいどれも巧妙なので、ちょっと私には選べない。

話の筋としては単純で、昆虫採集に出かけた教師が砂漠の中にある窪地に閉じ込められ、あらゆる手を尽くしても脱出できず、悪戦苦闘し、最後はそこに住み着き社会からは死亡扱いされるというだけの話である。だがその話が恐ろしい程にリアリティーを帯びると、実に泣ける。中でも、下らないマンガ雑誌を読んで思いがけず大声で笑い転げてしまった場面など、我が身を見る思いである。詰まらない社会のしがらみの中に閉じ込められると、人間段々それに慣れてきて、くだらない事にも一喜一憂して過ごせるのだ。ジョージ・オーウェルの1984にも通じる恐ろしい話である。

もしかすると、この作品は巧みな比喩で構成された一つの寓話であり、主人公は現代人の象徴なのかもしれない。すると実体を持たない巨大な力「砂」とは何の例えだろう?1/8mmの、目に見えない粒子。この実体のない力は、私達の中にはびこっているある種の欲望ではないだろうか?社会には夥しい数のそれが渦巻き、私達は一生それに振り回され、時に拙劣極まる喜劇を演じてみせるのだ。それはまるで昆虫に自分の名前を遺したいというような。


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